備忘録~軒下~
昔のはなしである。
昔住んでいた家では、犬を沢山飼っていた。小さい私は犬に混ざって庭を走り回ることが多かった。
ある日、犬と食べるためにおやつを持って離れの縁側から庭に出た。
犬達は普段ならば我先にとおやつを貰いにやってくるのだが、その日は全く来なかった。
小さい私はどうにか縁側から降りて、犬を探しに庭に下りた。犬が好きな茂みの方に近づいていたとき、ふと後ろに白い何かが動いた気配がした。
犬だ。と思った私は後ろを振り向いた。
それは軒下にするりと消えていところで、大きな白い蛇だった。
あれ?犬じゃないな。とそのときは思っただけだったが、後から考えるとどうにもおかしい。
うちの軒下は小型犬が入れないように、しっかりとした金属の檻がついていた。かなり目も細かく、大きな蛇が入れるような隙間はなかった。
一体あれは何だったのか、今でもまったくの謎である。
関係ないかもしれないが、私が住んでいた地域では蛇信仰があったらしい。
備忘録~渡り廊下~
昔のはなしである。
以前の記事に、1階のトイレ近くに渡り廊下があるという内容に触れたものがある。
今回はその渡り廊下での出来事である。
その日、夕方頃だっただろうか。母親はいつも仕事で遅く、父親は自分の部屋に引き込もり、祖父はリビングで深酒をして寝込んでおり、祖母は買い物で出かけていなかった。私は電気をつけてもなお薄暗い玄関口から、トイレの手洗い場へと移動していた。
1階から2階へ通じる廊下は吹き抜けのようになっていて、天井が高い。昼間は天窓から多少光が入るが、夕方になるとそれもなく、ひたすらに薄暗い。
少しこわかった私は、手洗い場の電気をつけようと足を速めていた。
どうにかトイレの手洗い場に到着し、さて、電気をつけようという段になって、ふと目の端に何かが過ぎったように感じて、私は自分の右側を見た。
真っ白い人がそこにいた。
いや、人なのだろうか。顔には目などは無く、骸骨に近い穴があるだけ。しかし腕などは骨ではなく、白くぼんやりとしたもので覆われていた。それは此方を見ているように感じた。
そして、目が合った(正確には目がないのでそう言えないのだろうが)と感じた瞬間、それは離れの方へとくるりと身を反転させて走っていった。
私は身をこわばらせ、硬直していたが不審者かもしれないという不安から、おそるおそる廊下へ移動し、離れの方を覗き込んだ。
離れは昼間はさんさんと日が差し込んで明るいが、夜は破れた障子や天井の雨漏り跡がなんとも不気味で、大きなお仏壇がなんとも言えぬ重圧感を出していた。
誰もいない。
先程の白い影はなんの形跡も残さずに消え去ってしまっていた。
その後は流石に一人になる気は起きず、普段はほとんど近寄らないアル中の祖父が眠るリビングへと入っていった。起きていたらウザ絡みされるのが嫌だったのだが、そうも言っていられなかった。
その後、その影に会うことはなかったが、トイレに行くたびに会うのではないかとびくびくし続けたのは言うまでもない。
備忘録~階段~
昔のはなしである。
私が住んでいた家は二階建てで、階段を下りて正面が離れへの廊下、左側にトイレがあった。二階にもトイレはあったが、奥まった廊下の先にあり子供心にも恐怖を感じていた為、わざわざ一階に下りて行く事がほとんどだった。
その日も自分の部屋で宿題をしていた私は、急な尿意によってトイレに向かっていた。
さて、トイレに入るかとなった時、手に鉛筆を握ったままであったことに気付き、階段についている滑り止めのくぼみに鉛筆をそっと置いた。
大人の足の親指が半分は入りそうなほどの深いくぼみに、鉛筆はすっぽりと入った。これならば落ちて欠けたり、なくなることもないだろうと安心した私は、(当時物がなくなることが多かった)トイレへと移動した。
さて、用を足して手洗い場で手を洗っていたとき、それは急に起こった。
かつん かつん
私の右側から何かが階段を落ちるような音がしたのである。正確には、なにか固いものが階段の一段一段に当たっているような音である。
なんだろう、と階段の方をみた私は驚いた。あんなにすっぽりとくぼみに入っていた鉛筆が、階段を下りるように転がっているのである。
猫が踏んで転がり出たのかとも思ったが、階段に猫は居なかった。人も下りてきていないのに、鉛筆だけが一段一段階段を下りてきている。
おかしい
その時の私は違和感を感じていた。
深いくぼみにすっぽりと入っていたものが、何の力も無く外に出れるものだろうか。しかも、その鉛筆は放物線を描くように上に大きく飛び跳ねながらも、一段も飛ばすことなく落ちてきているのである。まるで、子供がふざけて鉛筆で遊んでいるかのように。
一番下まで落ちてきた鉛筆は、力なくころころと転がった。あんなにも力強く弾んでいた勢いはもうない。
私は若干の気持ち悪さを感じながらも、鉛筆をむんずと掴んで急いで階段を上った。
その後はなにも起きることはなかったが、今でも思い出すと不思議な気持ちになるのであった。
備忘録~写真2 オーブ~
昔のはなしである。
当時実家では三匹の猫が飼われていた。その中の斑の猫が私は特に大好きで、しょっちゅうボール遊びをしたり、お腹に顔を埋めたりしていた。かなり大きな猫で、寝転ぶと階段の一段がまるまる埋まってしまうので、猫をどかさないと二階には上がれず、子どもの私では持ち上げるのも難しかった。
そんな階段でのびのびとしている猫を撮った一枚の写真に、それらは写った。
大きな猫の周りを、きらきらと光る球状の物体が取り囲む。一般的にオーブといわれるものに私は見えた。
撮った当時階段は薄暗く、光源になるものは天窓しかなかった。それも真上ではなく少し離れていた為、光が猫の上に降り注ぐといった現象は起こらないはずであった。
しかし、それらの光源は燦燦と猫に降り注ぐ光のようにもみえたのである。
その後その猫は腹部に大きな腫瘍がみつかり、一度は獣医さんから命が危険な旨を伝えられた。私は猫のお腹に顔を埋め、泣き暮らした。しかし、手術をすることなくその腫瘍は医者も首を傾げるほど綺麗になくなった。
写真との関係性は謎である。
備忘録~写真~
昔のはなしである。
私が小学生ぐらいの時だっただろうか。父がカメラを趣味にしていたこともあり、うちには本格的なカメラがいくつか置いてあった。当時はポラロイド最盛期で、自撮なるものが出始めてきていた。面白そうだと思った私は、試しに父のその本格的なカメラで己を撮ってみようと思い立ったのである。
さて、いざカメラで撮影をと思ったものの、片手で持つにはどうにも重い。落とすなんてもっての他である。そこで私は考え、一つの答えに行き着いた。鏡に映った自分を撮ればいいのではないかと。
顔の前でカメラを構えれば、顔が写らない。そこで私はファインダーを覗き込むことなく、顔より上の位置にカメラを構えて撮ろうとしたのである。
結果としては惨敗で、頭の天辺辺りしか写っていなかった。しかもそれさえもピントが合っておらず、ぼけぼけである。では、何にピントが合っていたのか。
当時の記憶が曖昧ではっきりしないのだが、背後にある部屋のドアが開いていたようで、鏡越しにドアの隙間が写っていた。そして、肝心のピントはその隙間に合っていたのである。そこには、沢山の顔が部屋を覗き込む様子が写っていた。
人間ではない。一目見てそうわかる有象無象が、文字通り首を長く伸ばしてこちらを覗き込んでいた。肩は写っていないのに、首だけがひょろりと長く、頭はドアの上部にまで至っている。肌色は不自然に白く、私の頭皮に対しても随分と白い。首の長さに多少長短はあれども、そんな顔たちが4つほどドアの隙間からこちらを見ていた。
現像するまでは全く気付かず、当時はフィルムを使い切ってからカメラ屋さんに持っていってようやく写真が手に入るといった工程を経ていた為、そもそも写真の存在を忘れていた。なんだこの写真?と当時はいぶかしげに思ったものだが、そこに写っている奇妙なものに気付いた瞬間、その写真の意味が子どもの失敗から大きく変わってしまったのを感じた。
その写真については、もう一つ話しがある。
気味が悪いながらも、捨ててなにか支障があっては困るので、私はその写真を別の写真の裏に重ねて、見えないようにアルバムに保存していた。しかし、いつの間にかなくなっていたのである。
表側にしていた写真はある。しかしそれをどけてもその写真はない。処分はもちろんしていない。
一体、あの写真は何処に行ってしまったのか、いまでも時々思い出してはぞっとするのであった。
黒曜石の孤独
彼女と会うたびに、私は彼女に深淵を見る。
彼女はとても素敵な女性だ。笑顔は少ないが、気遣いやで優しさに溢れた態度で、不平不満を愚痴ることなどなく、いつも努力を欠かさない。理論的な思考はいつでもすがすがしく、己の意見をきちんと説明できる知能を持ち、それによって相手を傷つけない思いやりも併せ持っている。
それでいて、非常に優美であると感じるのは、彼女は努力の痕跡をまったく人に見せようとしないからだ。
彼女は美しい、孤高の人だ。
時折みせる彼女の深い孤独は、私を魅了するに余りあるものだった。黒曜石のように滑らかで、時に人を傷つけてしまうほどに鋭角。時に欠点とも言われるそれは、私にとってはただただ美しいとしか感じ得ないものであった。
彼女は私にとって理想であり、崇高で尊い存在であった。
それは十年経ついまでも変わる事は無く、むしろますますそれは加熱していく一方であった。私は彼女の理解者でいたいと切望しながらも、その孤独感を愛しているが故に必要以上には踏み込まないようにしていたように思う。
それはとても残酷な行為であることを知りながら、私はただただ己の欲のままに彼女と共にあった。彼女を本当に孤独にしていたのは私だったのかもしれない。
彼女は時折、私に寂しいと言った。私は何も言わずに彼女をその時だけ抱きしめた。私は私自身さえも、彼女の孤独を壊す人物を許せなかった。しかしどうしても、彼女の近くにいたいという欲求を我慢できないことがあったのだ。
私はとても残酷な人間だ。とてつもない屑だ。本来ならば彼女の近くに居られないような人間だ。それでも、離れることができない傲慢な豚だ。
私は彼女に恋をしているんだと思う。しかし、それは愛になりえないあまりにも自己中心的なものだ。
私はこのままでいたいと願いながらも、どこかで彼女に断罪される日を待ち望んでいるのかもしれない。
その時までは、どうか彼女の一番近くに居るのが自分であるようにと祈らずにはいられない。
一気に書き留めると、ぱたりと日記を閉じた。それは現実とも夢想ともつかない、ほんの少しの言葉遊び。孤独が胸を突き刺す度、美しいものを目にする度、心が大きく震える度、開いては取り留めなく言葉を綴った。それは誰かに対しての届かないラブレターのようなものだったのかもしれない。
そうして、眠れない夜が明けて朝が来る。ゆっくりと布団に入ってほんの少しの惰眠をむさぼる時だけが、唯一安心できる。
おやすみなさい。よい夢を。
ひとりぼっちのソユーズ(Web版)を読んで。
この作品に出会うきっかけとなったのが、ある記事のリツイートからでした。
その記事のタイトルは『アニメ化を断った話』
リツイート主さんが、可哀相な話だと嘆いていたので、気になってリンクを開いてみた。
どうやら、書籍も出していらっしゃる小説家さんがアニメ化を断った話のようだというのが冒頭から読み取れた。なかなかに感情が先走り、少し読みにくいながらも臨場感があって、面白い文章を書かれる方なのだろうと推察できる文だった。
読むにつれ、作者さんの焦燥感や焦り、懊悩が伝わってきて、これは人の心を惹きつけるモノをもっているなと内容の暗さに反してとてもキラキラしたものを感じ、作品を読みたいという強い欲求に駆られた。
どうやら、WEB版で短いながらも一通り読めるようだと知り、急いで読みに行ったのが『ひとりぼっちのソユーズ』だ。
一言でいうと、とても綺麗でよく出来たお話だった。
以下はネタばれを含みますのでご注意を。あくまで個人的な感想なので、気分を害したらすみません。
物語は大まかに3トラックに分かれていて、主人公は日本人の「僕」。彼の視点でゆっくりと物語は進んでいく。
ヒロインは物語を通して2人登場する。トラック1はユーリヤ。
彼女がこの後の重要なキーパーソンなのだが、正直なところ、見た目が良いというところ以外はあまり魅力を感じられない女の子だった。Web版なのでなにぶん情報が最低限で、二人のエピソードが最低限まで削られているからだと思う。そうでなければ、おそらく主人公はかなりのマゾヒストなのだろう。可愛い女の子に自分だけ仲良くされたらデレデレしてしまうのも判る気がするがw
1では、主人公とロシア人と日本人のハーフのユーリヤの日常が描かれている。
ユーリヤのお父さんが宇宙関連の仕事をしていて、彼女の夢は宇宙飛行士。主人公はユーリヤと宇宙に行きたいと願うようになる。しかし、歳を経るにつれ二人は段々距離も心も離れていき、とうとうある日、決別をしてしまう。
ここは本当に辛くて、読んでしまうのを止めようかと思う程だった。この作者さん悲しいシーンを書くのが上手すぎる。ヒステリックな女性の雰囲気をよく掴んでいて、身近にこんな女性がいて辛い思いしたことあるんじゃないかと疑ってしまう。
ある満月の日、二人は偶然出会い、今までの決別がなかったかのように和解する。ユーリヤは主人公に夢を語り、主人公はそんなユーリヤと共にいたいという気持ちを強くする。そして、主人公は宇宙飛行士になる夢を叶える。彼女と共にいくという約束を果たすために。
清涼感の残る終わり方。二人の関係が恒星と衛星に例えられていて、何ゆえにここまで深い絆を結ぶに至ったかがちょっと不足している気がするも、魅力的で続きが気になって仕方なくなる。スプートニク(衛星)って男の子が呼ばれてるのが可愛いし、いちいちネーミングセンスがずば抜けて良い。作者さんの語彙選びのセンスの良さがとにかく光ってる。ユーリヤのアイデンティティの問題も巧みに織り込まれていて、よく読むと結構テーマが重い。起承転結でいうと、ちょっと長めの起だけど、しっかり読むとこの後がかなり面白い。
トラック2のヒロインはソーネチカ。彼女は月で生まれた最初の人類として書かれている。この女の子の特殊性がとにかく長々と書かれていて、彼女がいかに魅力的で特殊で、そして孤独かがトラック2のメインテーマなのではと思われる。
月の重力に慣れてしまっているソーネチカは、地球の重力に耐えることができない、両親は死に、次々と宇宙飛行士たちが地球に帰って入れ替わるなか、彼女だけは月の重力に囚われ続ける。特殊な訓練や医療技術を以ってしても長く掛かることは致し方なく、主人公はそんな孤独なソーネチカに寄り添い続ける。しかし、主人公はいつか地球に帰らなければならない。彼もまた地球の重力に囚われた人だからだ。ソーネチカとも決別してしまった彼だが、今度は諦めずまた月を目指す。リハビリを経て月に戻った主人公は、宇宙ステーションから行方不明になったソーネチカを探し出し、二人は和解する。そして数年後、彼女は夢にまで見た地球へと帰還する。
ユーリヤとソーネチカの共通点が多く、パラドックスの世界かな?と思わせられる。月という特殊な空間での圧迫感、閉塞感、地球への憧憬、ソーネチカの孤独感がユーリヤと重なってとにかく切ない。主人公、良い奴だけど全体的に「動」が少ない。良い意味で凡庸だからこそ、ソーネチカと寄り添えたのかな。気の強い美少女好きね……。
最後の地球に降り立つシーンはとにかく感動ものだし、月から地球が見えるポイントで語らう二人は幻想的でとにかく美しいし、想いを伝え合った瞬間はとても胸が熱くなった。特別修飾語が多いわけではないのだが、はっきりと情景が浮かぶ文章は素晴らしく、特に感情の起伏を描いているシーンに至っては臨場感が半端ない。きっと豊かな感受性を持った人なのだなと感じた。トラックを通して2はとにかく名作。
トラック3は発展した月で行われる新たな試み。地球外生命体とのコンタクトの可能性から始まる。主人公はかなりの高齢となって、宇宙飛行士ではなくなってはいたが、引退してもなお宇宙開発に関わっていた。ソーネチカとの関係も良好ではあったが、相変わらず地球は利権をめぐって争いが続き、月も発展と共に問題が増えてきていた。
そんな中、未知の生命体からのメッセージを受け取った人類は、その暗号を解き明かす。しかしその内容は主人公にとって思いがけないものだった。そこから、主人公の大いなる戦いは幕を開ける……。
最初はなにを書いてるのか正直わからなかった。所々に入る過去の回想も、主人公おじいちゃんになったし、ちょっとセンチメンタルになっちゃったのかな?ぐらいに思っていた。結論から言えば、全部伏線だった。
トラック1も2も、この終末に向かうために準備された土台だったのだと知った瞬間の鳥肌が半端ない。シュタインズゲートファンなら多分心を掴まれるであろう、伏線回収に次ぐ伏線回収。ちょっと助長な気もしたが、必要な気もして、とにかく続きが気になってどんどん読んでしまった。何気なく読み始めたのが深夜の2時、読み終わったのが早朝の6時。完全に徹夜してしまった。
途中の海のシーンは、主人公に感情移入しすぎて泣いてしまった。だから、辛いシーンかくの上手すぎるんだって……、辛いシーンからの救済で心の整理がつかない。とにかく美しいし、ユーリヤが魅力的で物語りを通して初めてユーリヤに恋しそうになった。
最後はとにかくハッピーエンドであることを心から喜んだ。この流れならバッドエンドでもおかしくないと思ってたから、めちゃめちゃ嬉しくてソーネチカのことも一段と好きになったし、黒猫ちゃんもめっっちゃ好きになった。というか、登場人物全員、全てを愛せる気がした。
文章がちょっと癖があるので、躓く人も多いと思う。トラック1だけだと物足りないので、正直三冊に分けようと決めた編集者と出版社の正気を疑ってしまった。
そりゃあね、奮いませんよ。トラック3まで一気読みしてこその魅力がこの物語にはあるし、少なくともトラック2までは出すべき。1はとにかく伏線だから、楽しくなってくるのは2からだから!!序章だけでこの物語は語れないし、映像作品にしたら、監督しだいでめちゃめちゃ良作になると思う。
でも、採算がとれるかはまた別の問題なんだろうな。
原作が売り上げ奮わなくて、しかも有名監督も落とせないってなると、ネームバリューが無さ過ぎて、劇場版はリスキーすぎる。編集者もボランティアじゃなくて営業さんだから、どんなに良い商品も買ってくれる人がいなかったらどうしようもなくなってしまう。
だからこそ、人間的に誠実で魅力的な人で居てほしいと思うのではあるが。商品を床に投げつけて踏むような真似はしないで欲しいし、誠実に向き合って欲しいと思ってしまう。せめて、自分の関わったものには誇りを持って欲しい。失敗だったとしても、自分の心の中でそっと嘆いて次につなげて欲しい。
しかし、一方で、この騒動があったからこそ私はこの素晴らしい作品に出会うことができた。何がどう転ぶかは本当にわからない。
とにかく気持ちが溢れすぎて、文章に残さずにいられなくなって、こんな朝からしっかり書いてしまった。
出来れば作者様にはこれで心を折らずに、素敵な文章を書き続けて欲しいし、短編の読みきりとか出たら購入したい。というか購入する。購入させてください!!